労働意欲がなさすぎて大学生になりました。

底辺介護職員が大学生になりました。

わたしが大学に入学した理由と病気について

 

眠れなくなってしまったのでつらつらと書きます。

 

2021年春、東京通信大学に入学しました。29歳のときです。

なぜ今更大学に入学に入学したのかお話します。

 

2020年2月。

新型の感染症が日本でも少しずつ話題になった頃、働いていた老健デイケアが閉業しました。これは同じ区内でも例を見ない早さの対応で、わたしは職を失いました。

幸い失業保険が出たのでしばらくのんびりするか〜資格でも取っちゃおう〜なんて呑気なことを考えていました。

しかし、デイケア再開の連絡は一向になく、その後わたしは約2年のブランクに陥ることになります。

 

感染症流行のおかげと言ってはアレですが、失業手当の期間が2ヶ月伸びてラッキーとか思っていたけどそれもあっという間に終わってしまい、何か仕事をしなくてはならなくなりました。

そこで、某医療機器メーカーの事務に転職しました。デイケアが再開したらいつでも辞めて老健に戻るぞと思っていました。

それでもなかなか再開の目処は立ちません。

 

医療機器メーカーでは優秀な事務員としてあくせく働いていました。我ながら事務仕事は得意な方です。好きじゃないだけで。

 

ただ、心のどこかでずっと引っかかるものがあって、それは老健の利用者さんたちの安否でした。

情報が一切入って来ないので早く会って安心したいという思いでいっぱいでした。

また、事務としては重宝されていましたが「誰のために」「何のために」働いているのか常に疑問で、これでいいのか?と毎日が不穏でした。

 

入社したとき同時に、介護福祉士実務者研修に通っていたので、介護への道が消えた訳ではないと自分に言い聞かせて働いていました。

 

でも毎日がつまらない。パソコンをカタカタ、エクセルでデータを入力、見積もりや請求書を作って送る。その繰り返し。

隣の席ではパワハラ上司(平社員)がいつも同じ人を怒鳴りつけて遊んでる。

 

その環境で働いているのがだんだん辛くなってきました。

 

そんな毎日の中であるときふと、同僚が元介護職員だったことを知り、通信制大学出身であることも教えてもらいました。

確か2021年の1月ごろだったかと思います。

 

わたしはかなり無鉄砲に生きているタイプの人間なので、「通信制大学いいな」という浅い理由で様々な大学を調べ始めました。

せっかく大学に行くなら何か福祉系の資格が欲しいと思い、社会福祉士が取れる大学を選びました。

本当はケアマネになりたかったのですがあまりに時間がかかりすぎるので、大学に入れば学士も取れるし一石二鳥じゃんと軽く考えていました。

 

そして、2021年2月ごろ父に頼み込んで入学金を支払い、無事春から社会人学生だ〜となるワケですが、ここで一つ事件が起こります。

 

わたしの病気の再発です。

毎日の仕事への不満足感、上司のパワハラ、セクハラなどが原因で2021年4月10日に、てんかん症状※が発症しました。同時に機能性発声障害も併発し、仕事に行けなくなり即効で退職しました。

てんかんではないのに同じような症状が出ることをてんかん「症状」というそうです。

 

そこからは怒涛のニート生活です。

預貯金も少ないので恥ずかしながら父に養ってもらいながら約2年ニートをエンジョイしていました。

同時に心療内科にも通うようになり、紆余曲折ありましたが「II型双極性障害」と診断されています(今のところ)。

 

双極性障害と診断されたのは実は初めてではなく、14歳の頃から自傷行為が辞められず、感情の浮き沈みが激しかったことからそのように診断された覚えがあります。

多感な時期だったのでその後通院や服薬をすることはなかったのですが…

でもこのとき自力で立ち上がっていなければ今頃本当の引きこもりか、グループホームにでも放り出されていたことでしょう。

 

働いていないという負い目はありましたが、幸か不幸かコロナのお陰で友人等の会うことができなかったのでニートしていることはバレずに済みました。(のちに親友にはカミングアウトしました)

心療内科に通い始めた頃はなかなか薬が決まらず、てんかん症状に悩まされながら授業を受けていました。

カメラの前で首がひっくり返ってる姿を撮影されていたと思うと恥ずかしいです笑

 

父もうつ病を患っていたので娘可愛さに過干渉になりすぎてしまい、それがストレスで病気は悪化するばかりでした。

救いだったのは「理解ある彼くん()」です。

厳密に言えば病気の知識もないし何にもわかってなかったと思いますが、ひっくり返ってるわたしを介抱してくれたり、泣き喚くわたしの話を聞いてくれるだけですごく助けられました。

彼がいなければ実務者研修も、福祉用具専門相談員も、大学も続けることができなかったと思います。

 

2022年現在

てんかん症状はリボトリールというお薬で抑えられている状態で、日常生活に支障が出るほどの症状は出なくなりました。

大学は2年次からは死にそうになりながら自分で学費を払って、なんとか2学期まで終えることができました。

なかなか病気に勝てない辛さから諦めそうになることもありましたが、Twitterをはじめてからたくさんの学生に出会い、その中には自分のように病気と戦いながら懸命に生きてる方もいることを知って、わたしももっと頑張らないとな!と思うようになれました。Twitterありがとう。

 

今も自傷行為やODを繰り返して婚約者(先述の理解ある彼くん()です)に怒られる日々ですが、勉強することが楽しくて仕方ありません。

人生でこんなにしっかり目標を持ったのは初めてです。

わたしの目標は絶対に社会福祉士になって現場で威張り散らしてるお局を撃退することです笑

それはまぁ半分くらい冗談ですが、様々な生きづらさや不便さに悩む人を救える人間になりたいと思っています。

 

大学に入って後悔したことはありません。むしろ勉強を続ければ続けるほどに大学に入ってよかったと思うようになっています。

 

まだまだこの病気とは長い付き合いになりそうですが、いつかこいつに打ち勝って、今のわたしのようにしんどい思いをしている方々に手を差し伸べたいです。

 

以上がわたしが大学に入った理由と病気につていでした。

大学に入ったのはほぼ「ノリ」ですね。

でも、大学があるから病気と戦えている自分もいる気がします。

みなさん3学期もほどほどに頑張りましょうね。

 

おしまい( ^ω^ )